十二世紀は、秀衡椀(ひでひらわん)に代表されるように、権力者の依頼によって専門の職人が工芸品を制作する工芸生産モデルです。このモデルは平安時代に京都より始まり、奥州藤原氏によって東北へも伝播しました。岩手県平泉を中心に栄華を極めた奥州藤原氏は、中尊寺を建立した藤原清衡を初代とし、基衡、秀衡と三代にわたり、金色堂をはじめとする黄金文化・仏教美術をもたらします。秀衡塗は、その三代目・秀衡が京の都から職人を招き、特産の漆と金をふんだんに使い、器を作らせたのが起源とされています。木地を削り形作る「木地師」や、漆を塗ったり装飾を施す「塗師」と呼ばれる専門の「職人」という存在がこの時代に生まれました。