このモデルは、従来のような大企業からの受注生産ではなく、地域の小規模企業が自らデザインを提案、製品化して流通・販売するまでを、コンセプターと呼ばれる人が総合的にプロデュースするものです。山形鋳物は二十一世紀の新しい工芸生産モデルとして注目され、創業四〇〇年の老舗・菊地保寿堂と、フェラーリのデザインも手がけた奥山清行氏の手によって生まれました。奥山氏はイタリアの小規模デザイン工房「カロッツェリア」の方法を持ち込み、山形県庁のバックアップを得て「山形カロッツェリア研究会」を発足。研究会発の産地ブランド「山形工房」を立ち上げ、山形から直接海外のトップランクの見本市に製品を持ちこみました。ここで大きな反響を得たことからバイヤーが殺到し、海外での評価を勝ち取りました。