明治維新を経て、工芸の世界も大きな転機を迎えます。政府が富国強兵、殖産興業を掲げ、西洋列強に追いつけ追い越せの時代。その殖産興業の一環で伝統工芸である江戸切子の生産振興も始まりました。それまで製造を担っていたガラス問屋に代わり、官営の品川興業社硝子製造所が開設され、江戸切子は、一八七三年(明治六年)に大規模な生産を開始。一八八一年(明治十四年)には、イギリスからカットグラス技師エマヌエル・ホープトマンが招聘され、当時の最先端技術が導入されます。製品は銘酒瓶・皿・組重・食籠などで、主に奢侈品・装飾品として購入されました。一八七三年にはウィーン万博、一八七七年には第一回内国勧業博覧会にも出品され、国内外問わず好評を得ました。