江戸時代に入り、工芸の生産モデルは大きく変化します。流通を担う問屋の登場で、あらゆる地方で工芸品が交易され、特に江戸では数多くの工芸が売買されました。これにより「産地」が登場し始めます。その一例が埼玉県の小川和紙で、農閑余業として農業の合間に生産され、製品は在方仲買人によって江戸商人に売られました。もともと和紙の産地は西日本に多く、ほぼ専売制で各藩の蔵屋敷から大阪の問屋に入札制で売られました。大坂から東京へは菱垣廻船の船便でしたが事故や問題が多く、江戸に結成された十組問屋の船便により安定供給されるようになります。それと同時に武蔵、常陸、伊豆、奥州などの紙が産地問屋から江戸の紙問屋に入るようになりました。紙は襖、障子、懐紙などに用いられましたが、特に需要を促進したのは出版業によるメディアの隆盛でした。