この時代の特徴は、目利きと呼ばれるプロデューサーが中心となり、工芸品のデザイン、製作、流通、消費の方法までをプロデュースする生産モデルです。その最たる例が黒楽茶碗で、戦国時代に千利休がプロデュースし、京都の陶工・樂長次郎により製作された茶碗です。現在の茶道でも大きな地位を占めています。室町将軍や朝廷中心の高価な茶器を愛でる茶の湯と違い、利休は連歌や和歌のワビ・サビに通じる枯淡の境地を重視した美意識を重んじ、侘茶を大成。その世界を具現化するため茶室から道具全てにわたり革新を図りました。黒楽茶碗はその集大成と言えます。利休の庇護者でもあった豊臣秀吉は、限られた人だけではなく、多くの人々に開かれているという利休の侘茶に共感し、大徳寺や北野で大茶の湯を開催、自らも様々な場で楽茶碗を使用しました。