工芸クロニクル

石鏃 Sekizoku

近畿No.002
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縄文以前は大型獣の狩りのために、投槍の先端に「尖頭器」を着装していましたが、縄文時代には、小型動物用の小さな「石鏃」を使った弓矢の狩猟法が出現。鋭利な石器を作ることができるサヌカイトは、動物を捕るための石鏃や石槍、肉を切り分けるための刃物の材料として重宝されていました。弥生時代には、原石を打ち欠いて剥片をとり、さらに全長3センチ、厚さ0.5センチ程度まで形を整え、表裏から押圧により刃部を作り上げる石鏃が確認されています。

尖頭器と石鏃 奈良県橿原市畝傍町(橿原遺跡付近)
成り立ち 工芸ストーリー

MODEL

自給自足モデル みんなでつくり、みんなで使った紀元前の工芸品

原始時代は基本的に小さな共同体で自給自足が成立していたため、貨幣経済の中で流通する付加価値を持った商品という意味での工芸は厳密には存在しえない。しかし、特定の産地の原料を使ってものづくりをするという意味で、この石鏃は工芸のアーキタイプのひとつと言え、中でも原料のサヌカイトを得るために水運が使用されたことなど、のちの工芸を考えるうえでも欠かせない要素が登場していることは見逃せない。

SOCIETY

日本列島が生まれた頃縄文時代 

SUPPORTER

下矢印

PRODUCER CREATOR 共同体のメンバー

下矢印

TASTE / FORM

下矢印

DISTRIBUTOR CUSTOMER / USAGE 共同体のメンバー

ROOT

 「叩いて割る」という原始的な方法。 いわゆる打製石器

PROCESS

素材

奈良の二上山や讃岐地方など で産出するサヌカイト

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略年表 工芸クロニクル

<旧石器〜縄文>原始的な共同体の成立と変質

2000万年前
大噴火により二上山が形成される
7万年前
氷河期へ(約1万年前まで)
4万年前
日本最古の石器登場(時期は諸説あり)
1万5000年前
縄文時代の草創期
尖頭器が登場
縄文土器の登場
小型動物の狩猟
漁労が発達
竪穴式住居がつくられる
1万年前
縄文時代早期 定住が広がる
5500年前
三内丸山遺跡でクリの栽培
大規模集落の登場
5000年前
磨製石斧の広がり
3000年前
西日本で稲作始まる

<弥生>石器の衰退、青銅・鉄の勃興

前800年頃
弥生時代へ 水田稲作の開始
前400年頃
列島各地で銅鐸製造
57年
倭の奴国の王が後漢の光武帝に朝貢し、金印印綬 「漢委奴国王」の称号を受ける
150年頃
倭国大乱
239年
女王卑弥呼が使者を魏に送る
3世紀頃
急速に鉄製(鉄鏃)が増加
350年頃
大和朝廷が国内をほぼ統一

工芸三冊屋 縄文を再発見するための3冊

『日本の伝統』岡本太郎(光文社 2005)
『土偶・コスモス』MIHO MUSEUM(羽鳥書店 2012)
『発掘された日本列島2015』文化庁(共同通信社 2015)

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おまけ 工芸のおひれ

石鏃は神の落し物!?

9世紀の歴史を扱った歴史書『日本三代実録』には、石鏃が発見されたという記事がある。しかし、人工物としてではなく、神が地上に落としたものとして書かれている。

楠木正成も石鏃を使っていた!?

奈良県『香芝町史』の記述によると、千畳敷という古戦場で楠木正成が矢の不足に直面したとき石を削って矢じりとしたため今でも石鏃が出土するという伝説がある。

石鏃が刺さったあとが多数…

吉野ヶ里遺跡の甕棺から発見された人骨には、多数の石鏃が刺さったものもあり、戦争で負傷した人の人骨と考えられている。

石鏃vs鉄鏃

動物を狙う場合、鋼鉄製の鏃よりも石鏃の方が貫通力において勝っているというアメリカの研究結果がある。実際に中国の歴史書には、石を使う民族が鉄を使う民族に勝利したという記録もある。

叩いて叩いて尖らせる

石鏃は打製石器であるため、打撃して鋭利なものにしていく。おおまかに剥離したものに、画像の赤い部分に打撃を加えていくことで、鋭さと攻撃性を増していく。これを押圧剥離と呼ぶ。

オリンピックで響いたサヌカイトの音色

サヌカイトは木槌で叩くと神秘的で澄んだ美しい音を奏でるところから、地元では「カンカン石」と呼ばれている。サヌカイトをマリンバのように音階をつけて並べて楽器にした石琴の美しい響きは、多くの人々の心を惹き付け、東京オリンピック(1964)の開会式でも用いられた。

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