
縄文以前は大型獣の狩りのために、投槍の先端に「尖頭器」を着装していましたが、縄文時代には、小型動物用の小さな「石鏃」を使った弓矢の狩猟法が出現。鋭利な石器を作ることができるサヌカイトは、動物を捕るための石鏃や石槍、肉を切り分けるための刃物の材料として重宝されていました。弥生時代には、原石を打ち欠いて剥片をとり、さらに全長3センチ、厚さ0.5センチ程度まで形を整え、表裏から押圧により刃部を作り上げる石鏃が確認されています。
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尖頭器と石鏃 | 奈良県橿原市畝傍町(橿原遺跡付近) |
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MODEL
原始時代は基本的に小さな共同体で自給自足が成立していたため、貨幣経済の中で流通する付加価値を持った商品という意味での工芸は厳密には存在しえない。しかし、特定の産地の原料を使ってものづくりをするという意味で、この石鏃は工芸のアーキタイプのひとつと言え、中でも原料のサヌカイトを得るために水運が使用されたことなど、のちの工芸を考えるうえでも欠かせない要素が登場していることは見逃せない。
SOCIETY
ROOT
PROCESS
奈良の二上山や讃岐地方など で産出するサヌカイト
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- 2000万年前
- 大噴火により二上山が形成される
- 7万年前
- 氷河期へ(約1万年前まで)
- 4万年前
- 日本最古の石器登場(時期は諸説あり)
- 1万5000年前
- 縄文時代の草創期
尖頭器が登場
縄文土器の登場
小型動物の狩猟
漁労が発達
竪穴式住居がつくられる - 1万年前
- 縄文時代早期 定住が広がる
- 5500年前
- 三内丸山遺跡でクリの栽培
大規模集落の登場 - 5000年前
- 磨製石斧の広がり
- 3000年前
- 西日本で稲作始まる
- 前800年頃
- 弥生時代へ 水田稲作の開始
- 前400年頃
- 列島各地で銅鐸製造
- 57年
- 倭の奴国の王が後漢の光武帝に朝貢し、金印印綬 「漢委奴国王」の称号を受ける
- 150年頃
- 倭国大乱
- 239年
- 女王卑弥呼が使者を魏に送る
- 3世紀頃
- 急速に鉄製(鉄鏃)が増加
- 350年頃
- 大和朝廷が国内をほぼ統一
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9世紀の歴史を扱った歴史書『日本三代実録』には、石鏃が発見されたという記事がある。しかし、人工物としてではなく、神が地上に落としたものとして書かれている。
奈良県『香芝町史』の記述によると、千畳敷という古戦場で楠木正成が矢の不足に直面したとき石を削って矢じりとしたため今でも石鏃が出土するという伝説がある。
吉野ヶ里遺跡の甕棺から発見された人骨には、多数の石鏃が刺さったものもあり、戦争で負傷した人の人骨と考えられている。
動物を狙う場合、鋼鉄製の鏃よりも石鏃の方が貫通力において勝っているというアメリカの研究結果がある。実際に中国の歴史書には、石を使う民族が鉄を使う民族に勝利したという記録もある。
石鏃は打製石器であるため、打撃して鋭利なものにしていく。おおまかに剥離したものに、画像の赤い部分に打撃を加えていくことで、鋭さと攻撃性を増していく。これを押圧剥離と呼ぶ。
サヌカイトは木槌で叩くと神秘的で澄んだ美しい音を奏でるところから、地元では「カンカン石」と呼ばれている。サヌカイトをマリンバのように音階をつけて並べて楽器にした石琴の美しい響きは、多くの人々の心を惹き付け、東京オリンピック(1964)の開会式でも用いられた。