問屋と町人の時代 1,600年〜1,850年

江戸時代に入り、工芸の生産モデルは大きく変化します。流通を担う問屋の登場で、あらゆる地方で工芸品が交易され、特に江戸では数多くの工芸が売買されました。これにより「産地」が登場し始めます。その一例が埼玉県の小川和紙で、農閑余業として農業の合間に生産され、製品は在方仲買人によって江戸商人に売られました。もともと和紙の産地は西日本に多く、ほぼ専売制で各藩の蔵屋敷から大阪の問屋に入札制で売られました。大坂から東京へは菱垣廻船の船便でしたが事故や問題が多く、江戸に結成された十組問屋の船便により安定供給されるようになります。それと同時に武蔵、常陸、伊豆、奥州などの紙が産地問屋から江戸の紙問屋に入るようになりました。紙は襖、障子、懐紙などに用いられましたが、特に需要を促進したのは出版業によるメディアの隆盛でした。

問屋モデル

江戸時代に入り、流通を担う問屋が登場し、江戸では数多くの工芸が売買されるようになる。和紙の主産地の多くは西日本にあり、船便により江戸に送られていたが、江戸十組問屋が江戸近郊に産地を求め、その代表的なものが武蔵国(埼玉県)の小川和紙だった。紙は江戸の出版をはじめとした消費文化の波に乗り、需要の増大に対応することでおおいに栄えることになった。

No.001

小川和紙 Ogawa Washi

江戸の商い・学問・芸術を支えた伝統の「紙技」

小川和紙